《森 光年》
以前にも書きましたとおり、私の愛する大阪は梅田のパティスリー『ラヴィルリエ』が11月24日にめでたく2周年を迎えまして。 残念ながら私は所用で駆けつけることができなかったんですが(お祝いの花は前倒しでもって行きましたが)、記念の限定商品が用意された勤労感謝の日にはお店の前には長蛇の列ができ、長い人では4時間待ちだったとか! 1周年記念のときも1時間ちかく並んだ記憶がありますが、4時間となるとこれはもう、ちょっとした万博かディズニーランドの領域ですね。ラヴィルリエの人気もどうやらいよいよ本物のようです。 来年こそは3周年の記念商品にありつきたいんですが、いったいどれだけの行列ができるやら。 ともあれ、ラヴィルリエの皆さん、おめでとうございます。 そんなわけで森光年なんですが、すでに当サークルの風見鳥が記事にしていますが私も書かないわけにはいかないでしょう、京都市美術館で開催中の(といっても今週の日曜までですが)ワシントン・ナショナル・ギャラリー展の感想を。 印象派を中心に、その前駆的存在であるコローやクールベら写実主義、ポスト印象派のセザンヌやゴーギャンまで豪華な顔ぶれがそろったこの展覧会(なぜかロートレックが混じっていたのが謎でしたが)。 これを逃せばモネの『日傘をさす女』の実物を観ることは一生ないだろうなあ、と思ってはいたのですが日々の暮らしに追われるうちに開催期間は飛ぶようにすぎ、このままではいかんと思い立って遠路(といっても電車で50分ほどですが)京都へと出かけてまいりました。
モネは『日傘の女』を三枚残していますが、ワシントンのは最初に書かれた一枚ですね。モデルである最初の妻カミーユの顔が比較的明瞭に描かれています。
後年になるにしたがってモネの作品からは人物が姿を消してゆき、ついには庭の睡蓮を描いているんだかある種の曼荼羅なんだかわからない抽象絵画の領域へと突入していくわけですが、最初の一枚の10年後に描かれた二枚の『日傘の女』では風景と人物は均質に描写され、カミーユの顔ももはや判然としません。 この10年のあいだにカミーユとモネは死別しているわけですが、月日とともに記憶の中から在りし日の妻の姿が薄れていく、そのはかないうつろいを描写しているようでなんとも物悲しいのですよね。 で、カミーユの存命中に描かれた一枚目の『日傘の女』を今回見ることができたわけなんですが、長年恋焦がれていた一枚だけにさすがに感無量。はずかしながら涙が出ました。 実物を間近で目にしてはっとしたのは、背景の雲の白とカミーユの衣服のハイライト部分の白が照明を受けてかがやくほどにくっきりと強いタッチで塗られていたこと。 愛する妻と子とともに在る至福の時間、その一瞬を鮮烈に描きとどめようとしたモネの気持ちがそこに現れているかのようでした。 もうひとつの目当てはなんといってもセザンヌ。 初期の人物画なども展示されていて興味深かったですが、面白かったのはやはり後期の風景画です。木々や岩などの自然物がまるで黎明期のCGのポリゴンのように表現されていて、なるほど『自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい』というセザンヌの言葉はこういうことなんだなと深く納得。 多くの画家に影響を与えたセザンヌは現代絵画の父ともいえる存在であり、かのピカソもセザンヌは自分の唯一の師であると語っていたことが知られていますが(実際に師弟関係があったわけではないですが)、なるほどセザンヌの風景画にはのちのキュビズムへといたる道筋がたしかに存在していました。 あと、セザンヌの代名詞ともいえるモチーフである果物の静物画も展示されていましたが、これにも興奮しましたね。 セザンヌの静物画のロジックについてはあちらこちらでさんざん読んですっかり分かったつもりになっていたんですが、やはり実物を前にするとちがいます。頭ではなくもっと芯のところで理解できたというか。 絵を見つめているうちに突如としてそこに描かれている果実というモチーフが意味を失い、ただの彩色された平面へと変貌する。そんな鮮烈な体験をすることができました。 今までなんとも思っていなかった画家なのに、実物を目にしたことで印象が変わったのがマネとメアリー・カサット。どちらの絵にも匂いたつような存在感があって魅了されました。 ドガの絵にも圧倒されました。はがきサイズの作品から大型のキャンパスにいたるまで、塗りの分厚さが変わらないのです。しかも、とりつかれたように塗り重ねるゴッホのような描き方ではなく、全体が重厚かつ均質。大判の作品はまさに油絵の具の壁状態でした。 あの独特の暗く劇的な画面はこうして描かれていたんだなあと感動。月並みですが、やはり絵画は実物を見ないと判らないことがたくさんありますね。 |
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