《森 光年》
さる人のご友人がフランス在住で、パリでいろいろなものを取材して本を出版したりしておられるそうです。 で、その人がパティスリー界のピカソことピエール・エルメにも取材したそうなんですが、エルメには写真を撮る際の決めの角度(参考:各種媒体でよく使われるエルメの写真)というのがあって、その角度以外の写真は使用を許可されなかったのだそうです。 まさかそんなことが……と思って画像検索してみたらなるほど確かに、もちろん正面向きの写真もありますが基本的には斜めで写ってますね。これとかこれとかこれとか。 この人が体型を気にしているなんて意外でした。これぞ菓子作りに心血を注いできたあかし、いわばパティシエの勲章のようなものだと思うのですが。 とはいえやはり菓子作りは体力勝負なのか、私が見たことのあるパティシエさんたちは皆、がっちりした大男ばかりで肥満している人はいませんでしたが。 そんなわけで森光年なんですが、大阪の市街中心地の只中にある緑ゆたかな憩いの場、靱(うつぼ)公園のバラ園が見ごろを迎えております。 詳しい様子は靱公園とその周辺の話題をとりあげておられるブログ『靱公園しんかろん』さんの記事にて豊富な写真とともに紹介されているのでぜひご参照いただきたいのですが、じつはこの記事の写真の一枚に私こと森光年が写っていたりします。 横顔で小さく写っているだけなので、知人友人といえど私だとは気づかないとは思いますが。 たしかに先週、バラを見に出かけたのですが、まさかすぐ近くでいつも参考にさせていただいているブログの主さんが写真を撮っていたとは……情報化社会おそるべし。
さておきバラ園のバラはじつに多彩で美しく、アラビア原産のどちらかといえば地味な花を元に品種改良につぐ品種改良を重ねてこれほどの絢爛たる世界を作りあげた人間のあくなき執念には感動を禁じえません。
園芸への造詣に欠ける私のような者でも品種名と産地、年代を記した案内板を見ているといろいろと想像が膨らんで楽しいですね。ピースという名のとても美しい三色のバラ(あとで知ったことですが、20世紀のバラの代表といわれる名花だそうです)が1945年、終戦の年に作られていたり、クリスチャン・ディオールという名のあざやかな赤いバラが1958年、同名の偉大なファッションデザイナーの死の翌年に生まれていたりして物語を感じました。 エルメスのケリーバッグの名の由来である女優のグレース・ケリーがモナコ公妃となった1956年、フランスでグレース ドゥ モナコというバラが生まれており、当時の世界的な祝賀ムードがうかがえて面白かったのですが、くだんのバラは愛らしいピンクで元祖クールビューティーなケリーのイメージとはちょっと合っていないような…… オフィーリアというイギリスのバラもとても美しかったのですが、真っ白ななかに中央部分だけほんのりとピンクで、狂気に陥り溺死するハムレットの恋人オフィーリアとはイメージちがうなあと思いました。 オフィーリアは貞節の象徴として数多くの芸術作品の題材とされてきた歴史的経緯があるので、そのイメージからすると似つかわしい花なのでしょうか。 個人的には、父親と恋人との板ばさみにあって正気を失い、木の枝にかかった花輪を取ろうとして河に落ちて溺れ死んだ女性を貞節の象徴などとはいささか気持ちの悪い発想のように思えます。 処女厨は時代と洋の東西を問わず存在するということでしょうか。 と、いろいろ書いてきてここでようやく思い出しましたが、ピエール・エルメの代表作、フランボワーズとライチとローズのマカロン(ケーキやゼリーでも同様のものを作っていますが)、イスパハンもダマスクローズという古いバラの一種から名前を取っているんですよね。 フランス菓子の定番中の定番、フランボワーズに鮮烈なライチの味わい、そこにバラの香りまで加わって収拾がつかなくなるかと思いきや綺麗に味の着地点を見出して幸せな気分にさせてくれるのはエルメの天才性というべきでしょうか。 エルメに始まりエルメに終わった今回の記事でした。 |
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