《森 光年》
パリに続いて今度は東京コレクションが行われ、現在の東コレを代表するブランドのひとつであるANREALAGE(アンリアレイジ)が変形する服を発表して話題となりました。 すでに各所で紹介されていて今さらかもしれませんが、短くまとまった動画がありましたので貼っておきます(フルサイズのショーはこちら)。 14年春夏東京コレクション:アンリアレイジ 思いのほかスカート丈が短く変形してしまい、それをずっと気にしてる小さなモデルさんがなんか可愛いです。 変形ギミック付きの服も面白いですが、ミリタリーテイストのアイテムを小さく白くフェミニンにしてるのも面白いですね。 ポーターとコラボしてる大小さまざまな白いバッグやリュックもいい。とくに大きい方。 春のパリコレでちょうどビッグサイズのバッグが注目を集めてましたし、こういうの二年後くらいに街で見かけるようになるのかもしれません。 そんなわけで森光年なんですが、ちょっと前に放送された『美の巨人たち』のなかで、美術愛好家たちが「名画の美女ナンバー1は?」というテーマで討論する、というような寸劇をやってまして。 美の巨人たちは寸劇さえなければいい番組なのに、が口癖の私ですが(まあ、寸劇がなかったら10分で終わってしまう内容ですが)このアイデアには興奮しました。実際にやってみたらじつに面白そう。 で、当ブログを一緒に書いているひとりで美術マニアでもある大浜サキに早速この話題をふってみたのですが、結果、なかなかの盛り上がりでございました。 やはり美術好きの考えることは一緒のようで、そう取り決めたわけでもないのに両者まず挙げたのは正統派美女。 私のほうはカバネルのヴィーナスかオフィーリア、大浜はラファエル前派の美女たち(シャロットの女とか)。なかなかいいジャブの応酬です。 ここで真珠の首飾りの少女とかミュシャとかベタを挙げてしまうとマニアの名折れなので両者趣向を凝らします。 さらに大浜がブーグローの美人画を挙げ、新古典主義を代表する画家であり、19世紀のアカデミズム絵画という、当時の絵画界のいわば巨人軍的派閥のなかでエースで四番だった(でも後世の評価ではアカデミズム絵画自体が印象派の咬ませ犬的あつかい)ブーグローが、いかに素足フェチの変態だったか(これとかこれとか、とにかく素足の女性しか描かない)を語り合ったあと、いよいよ本題へ。 これこそマニアとしての真価が問われる、変化球美女部門です。
ここで大浜が挙げたのはムンクの『声・夏の夜』。これにはやられた! ひねりが効いてて、しかも文句なしに美しい!
ムンクと聞いてイメージするのとまた違った感じなのがいいですね。 ムンクは作品の病み具合とは裏腹にかなりモテた人のようで、生前はかずかずの浮名を流し不倫の恋も多々あったと聞きます。 「昔の人が愛を炎に例えたのは正しい。愛は炎と同じように山ほどの灰を残すだけだからね」なんて言葉も残しているようですが、この『声・夏の夜』はそんな彼の初恋の人妻を描いた作品なのだそうで。 なるほど、この絵の女性の気品ある色気は、触れたい、が触れてはならぬ、というムンクの葛藤のあらわれなのかもしれません。 これに対して私が挙げたのは、モディリアーニが晩年に描いた妻ジャンヌの肖像。以前、美術館で実際に見たことのある作品です。 モディリアーニはピカソと同時期に、ピカソと同レベルの視線の高さで現代絵画の地平を切り開かんとしていた画家のひとり。 貧苦のなか、35歳の若さで没しなければ後々どれほど巨大な功績と影響を美術界に残していたかと思うと惜しまれてならないのですが、そんな彼を献身的に支えたのが内縁の妻のジャンヌでした。 モディリアーニの短すぎる生涯をなぞるような展覧会、その最後の部屋でこのジャンヌの肖像を見たときは涙が出ましたね。 画家の感謝の気持ちが満ち溢れ、絵の中のジャンヌに後光が差しているようで。聖母か、あるいは菩薩のように見えたものでした。 このあと、モネの妻カミーユの生前と死後で日傘の女がどう変化したかという点から、大成功して富も名声もほしいままにした画家モネのあまり語られることのない秘めたる狂気について論じたりもしたのですが、長くなりますのでこのあたりで。 絵画マニアのみなさま、酒の肴にでも同好の士と、このテーマで語り明かしてみられてはいかがでしょうか。 |
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